2024年6月29日 (土)

ニコンで写真展

6月11日から24日まで僕の初めての写真展がニコンサロンで開催された。

天下のニコンには申し訳ないが、僕が当初イメージした展示会は、市民ホールのような一角で、写真好きなニッコール倶楽部の奥様達が集まって珈琲やお茶をのみながら、自慢のペットやあまり可愛くもない自分の子供の写真の自慢をする社交界みたいなモノを創造していた。

幸か不幸かニッコール倶楽部にはご縁がなかったので、とりあえずは外部の得体のしれないアマチュア写真家が、下品な写真を展示されてはかなわないという意向があったかどうかわからないが、先ずはおサロンで展示するお写真の提示(選考会)があるわけだ。

30枚ほど提出しなければならず、何を出せばよいのか分からなかったが、僕とすれば自分の主催する撮影ワークショップに繋がればよいと思い、バングラディシュで撮影した写真をプリントして提出した。

これが昨年の9月の事だ。

その後しばらくすると、ニコンからメールが入り、おサロンへの出品のご承諾を頂く事になった。

これは、非常にラッキーな事で、サロンに集う有閑マダムのお金持ちに取り入ってツアーや東南アジアで買ってきた怪しい石鹸でも売りつけるチャンスかもしれない。と心の奥でほくそ笑んだ。

Tenji 

僕が予想していたニコンサロンのイメージ

 

早速、日本では800円もするマンゴスチン石鹸を大量に買い付けて、金持ちマダムに売り込もうとしていたらニコンの担当者の方から連絡が来た。曰くは、会場は2つにわかれており、右側が佐藤さんという方のお祭りの写真展で、左側が僕のスペースという事らしい。

そこから一気にレイアウトや展示方法等々怒涛の問い合わせがやって来たのだ。

ちょっと待ってくれ!

これはサラリーマン時代に新製品の立ち上げをやってきた進捗表と同じではないか?

開催2か月前には〇〇と〇〇を提出、〇までにニコン側の承認

なんて項目がずらりと並んでいるのだ!

キャプションや文字の大きさ、字体、色、何から何まで詳細かつ綿密にスケジューリングされているのだ。

これはヤバい事になったぞ。

ガチなやつだ!

このあたりから、自分がヤバい方向に向かっている事に少しずつ気が付き始めた。

担当者の方曰く

「この度は、おめでとうございます。ニコンサロンでの個展開催は、多くのプロが望んでもなかなか叶いません。それも持田さんは1回目で合格されました。しかも毎回専攻会議では選定に紛糾するのが常ですが、今回は1発で確定でした。この数年企画に携わっておりますが、異例の快挙です。大盛況になると思いますので、頑張って下さい。

というわけで、予想もしなかった事態がはじまってしまった。

おいおい、ピントのずれた自分の子供の甘たるい写真を自慢し合うお茶会サロンじゃねえのか?

冗談半分と言うとマジで応募を繰り返ししているプロの方には申し訳ないが、当初の僕の中ではニッコール倶楽部の会員で、そこそこ上手なハイアマの中に混じった写真展のようなものを創造していたのだ。

自称プロだが、日本のガチのプロの中に入っていく勇気もない。

しかし、そんな自分の思惑とは別に、今回紹介して頂いたプロ写真家達の展示会等をサポートする写真弘社という企業とタイアップする事になり、チーム持田として自分の写真展に向けて起動する事になっていくのだった。

 

この夜から、自分の勘違いから始まった喜劇が悲劇になる悪夢にうなされる事になるのだった。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024年5月16日 (木)

夢の記録

久々に凄い夢を見たので忘れない内にブログに残しておきます。

実は、僕の特技で夢の中でリアルにご飯を食べる事ができます。

味も匂いも本当にリアルに感じる事ができます。

皆さんは如何でしょうか?

時々、美味しいものを食べる夢を見ますが、一昨夜の夢は生姜焼き定食を食べました。

これが凄く美味しくて、匂いも味も、色も素晴らしくリアルでとても美味しく頂きました。

目が覚めると、僕は思いました。

「ああ、本当に美味しかった」

そこで、昨夜はこう思いました。

「又、夢で美味しいものを食べたい」

夢の中なら、お腹いっぱいコレステロールも気にしないで食べる事ができます。

「今夜は、イタリアンを食べたい」

前菜は向うが透けるほど叩いて透明なキアーナ牛のカルパッチョ。

スープはこの季節なので白アスパラガスのスープ(シュパーゲルスープ)

トリュフのパスタとキアーナ牛の赤身のステーキ

黒鶏印のキャンティークラシコワイン

と、昨夜の生姜焼き定食より豪華なメニューです。

でも夢だからお金もかかりません。

と熱望しながら寝てしまいました。

そして夢の中です。

僕はベトナムのビーチリゾートらしき所の安いGHで目が覚めました。

時計を見ると午前7時。

凄くお腹が空いています

朝食を食べにGHを出て左に曲がって坂を下りて海の方向に向かいます。

天気は曇りです。

坂を下りていくので、海は近づきますが海は見えません。

車道を渡って右折して更に道を下ると、欧米人旅行者がだらだらしているオープンテラスの安そうなレストランが幾つかあります。

僕は、お腹が空いており何故かスパゲティカルボナーラが無性に食べたくなり、メニューを見ますが、朝なのでジュースと珈琲と僕の嫌いなバサバサのライ麦パンしかありません。それでもパンを頼みますが、1時間待っても何も来ません。

辛抱できずに、店を出て次の店を探します。

店を出て更に坂を更に下って行きます。

足元の悪い細い道を下り、海に向かって歩いていきます。

建設途中の安ホテルの横を通ります。

これは、前回2月に訪れたインドのダラムサラで泊まった安ホテルのすぐ横の光景でした。

少し歩いた先の2軒目のレストランでスパゲッティを注文しますが、40歳くらいの白人のスタッフは

「アップルジュースですね」

と英語で返答します。

「いや、カルボナーラです」

と言い返しますが、彼は聞く耳を持ちません。

そこで注文を伝えるべくキッチンに入ると、ベトナム人のおばちゃんが料理を作っています。

でもおばちゃんは英語が通じず、結局僕はその店を出て、次の店を探します。

この時点で時計を見ると10:30

お腹が空いて限界ですが、この時間ならランチタイムまでもう少しと思い、更に歩いて次のレストランに入ります。

此処で、一旦海側から戻ってこれまで来た道の途中にある店に入ります。

途中で、岩山を遠望しますが、これはタイのクラビで見た景色です。

花崗岩に白人旅行者たちがロッククライミングしている風景を遠望します。

僕は、黒いチーク材木のお洒落なレストランに入ります。

これは、昨年ラオスのバンビエンで夕食をとったレストランで、風船の中に麻薬の成分を混合した空気を入れるハッピーバルーンで白人旅行者に人気のレストランでした。

(スタッフに勧められてワンバルーン試してみましたが、全然効かなくて生ビール1杯の方が全然ハッピーでした)

因みに客はいません。僕一人です。

メニューを見ると難しい英単語が並び全然意味が分かりません。

そこで、スマホを使って翻訳アプリでメニューを見ようとしますが、スマホは画面がパチパチ点滅して壊れています。

見ると、縦に大きな傷がついており壊れているようです。

困ったな。と思い前を見ると天井から下がった大きな液晶TVがBBCニュースを報道しています。

経済ニュースですが、白人の女性アナウンサーが険しい顔で報道しています。

内容は中国についてです。

言語は吹き替えされた日本語です。

彼女は言いました。

「中国はバブルが崩壊して、大変な事になっています。不良債権を抱えて地方の中銀は破綻し、幾つかの都市では人民が銀行に押し寄せて騒ぎが起こっています」

※→ここまでは現在の中国の状況と同じ(但し実際には5月時点では少し息を吹き返しています)

彼女は言います。

「習近平は不良債権を抑えるためにアベノミクスを参考にマイナス金利を行いました」

そう簡単にはいかないぞ、日本では成功しなかったぞ。

と僕はTVを見ながら思います。

すると。

「マイナス金利になったので、中銀の負債は解消傾向に向かいましたが、引き下げによる米中の金利差から元が暴落しています。その為ドル高の元安からインフレが発生しています」

まあそうなるかもね。

するとアナウンサーは興奮した顔で

「ついにハイパーインフレです。まるでトルコの通貨危機の再来です。中国元の大暴落です。元を支える為に中国政府はついに米国債の売却をしました」

おおお、ついに奥の手を使って元を上げるか?たしかにドルは安くなるが禁じ手だぞ。習近平もエルドアンと同じか!

僕も緊張してTVを見ます。

「中国の米国債売却でドルが暴落しています。アメリカでインフレが再び急加速しています。然しながら、これ以上金利を上げると株価は大暴落するでしょう。然しながら、ドルを支える為、急遽FRB は短期金利の引き上げを決めました。長短期金利が逆転しました。昨年同様に2年連続の逆イールド。しかも短期金利上昇による逆転は昨年同様史上2回目です」

取り敢えずカンフル剤として短期金利引き上げは仕方ないけど、これはヤバい。

※実際に昨年インフレ抑制のために米FRBは超短期金利逆転の逆イールドを起こし、その解消方法は長期金利の引き上げという史上初の粗治療を行った。(普通は短期金利引き下げで解消)

ついにトランプ大統領が中国に制裁を決定。関税の凄い引き上げと米国にある米国内中国企業&個人資産の凍結を発表」

ここで、顔面真っ赤のトランプが映っています。

相変わらずの訛りのキツイ米国英語ですが、何故か言っている事が分かります。

「元凶は中国だ!ファック、サラバビッチ、習近平の野郎、事前相談なしに勝手に米国債売りやがって!!!」

う~ん事前通告なく米国債を手離した習近平に対してトランプも本気だ!凄い事になった。

ここから急展開。

「何と、中国人民解放軍が台湾と熊本を攻撃してます。狙いは台湾の半導体工場を手中に入れて、半導体による経済の立て直しと最先端の半導体部品を抑える事が狙いです」

おお、やばい。

確かに、アベノミクスのようにマイナス金利にすれば、不良債権は減少し中銀の破綻と人民の不満は減る。

しかし、金利による為替操作ができなくなり身動きできなくなる。

日本はこれで円の信用を失い一気に円安に向かった。

マイナス金利政策は金利差による通貨安を招くが、金利を引き上げると不良債権が増え、日本が辿った失われた30年を繰り返す。

 

絶好調の半導体工場を手中に収めれば、中国にとって一発逆転。

最先端の半導体技術で軍事力も大幅アップ。

経済でも軍事でも米国を凌駕しかねません。

画面は台北。逃げ惑う市民。飛び交うミサイル。

「台湾有事でSP500指数が大暴落です。半導体株を中心に大規模なリセッションに入りました」

中国VS台湾&日本の戦争勃発です。

当然沖縄の米軍が加わり、第三次世界大戦か?

と思い食い入るように画面を見ると。

「米国議会は議決により、今回の台湾有事への直接介入をやめました。一部は自衛隊の後方支援をしますが、米中直接対決を避ける意向です」

うーん、確かに米国からすれば、経済制裁はしても武力衝突は避けたいし、ライフル協会派の共和党に対し、兵器産業との関係が強いバイデン政権みたいに交戦的じゃないから、共和党中心の議会では参戦回避するよな。

しかも、安倍晋三が死んだ現在、岸田政権では日米安保の発動をトランプには説得できんか...トホホ

夢の中ですが、結構冷静に分析しています。

「米国の支援の無い台湾軍と自衛隊は人民解放軍に敗退。台湾と熊本の半導体工場は中国資本になりました。株価全面安の大恐慌です」

おおおおおおおヤバい。新NISA枠で買ったエヌビディア株はどうなった。

とスマホで楽天証券にログインを試みますが、スマホが壊れていて、ログインできません。

これでは旅どころでは無い。

と思い、帰国を考えますが手持の航空券は台北経由の中華航空です。

もうだめだ。スマホが壊れてチケットは買えないし、戦争で台北には飛べません。

大恐慌で全世界ハイパーインフレで貯金は紙クズ。

もうだめた。

とベトナムの海岸で叫んだところで目が覚めました。

全身汗びっしょり。

豪華なイタリアンどころか、カルボナーラも食べれず、悪夢でうなされて目が覚めました。

…………………

慌てて、布団の横のスマホを手にしますが、壊れていません。

ここで安堵して口座にログインします。

何とSP500は史上最高値の3300指数を超え、新NISA枠をフルで買った半導体のエヌビディアの株価は何と一晩で3%アップ。

夢とは真逆の展開に胸をなでおろしました。

 

そこで正気に返り、夢の分析です。

昨夜は寝る前にPCで米国の景気動向や株価の推移を分析。

5月に入り、雇用統計や一般家計の負債が増えていました。

資金のある大企業の決算は良くても、負債を抱える中小零細企業の経営状況は高金利の影響で収支が悪化しています。

失業保険の増加と中銀の経営悪化。

金利の高止まりにインフレは横ばいと70Sを彷彿させるスタブフレーションの兆しが顕著に。

金利低下の期待による円高と、前年度にインフレ解消のための長短金利逆転のツケによる景気後退がいよいよ現実化してきたと実感しました。

この辺は、米国ブルームバーグと仏アクサ、スパークスの最新記事を参考にしています。

この状況では、過去の例では全て暫く株価は上がり続け、その後に急落しています。

おそらく、ジャンク債が動くまで株価は上がり続けるので、そのタイミングでSP500を中心に米国関連株を7割くらい確定し現金化。リセッションで底値になった時点で買い戻す戦略を立ててPCの電源を切りました。

 

夢の中でスマホが壊れたのは、その前に尊敬する旅写真家の三井さんのブログで、インドでスマホを落として壊れた記事を読んだのが原因かと。

 

中華航空の件は、4月に帰国した際に利用したのが中華航空台北経由だった事が要因かな?

 

半導体の件は、今年から始まった新NISA枠でエヌビディア株を購入。

今年のNISA枠全てをエヌビディア社に一択しましたが、これは投資信託オンリーの自分にとっては凄いギャンブル。

購入前に、エヌビディアの決算や株価の推移、半導体関連について自分なりに詳しく調べた結果の購入でした。

お陰で、半導体企業についてほんの少し知る機会ができました。

 

ベトナムは、昨日自分のウェブサイトのギャラリーの編集をしていて、インド&バングラディシュの作品は多いけど、ベトナムやカンボジアの作品は少ないので、ベトナムのメコン河口付近で撮った作品を選別していたのが原因かと思います。

この辺は心理学的にみて興味深いのですが、一応夢の中でそれぞれが繋がっているのが分かり、それなりに興味深いと思いました。

 

という訳で、どうでもよいのですが、久々にといううか、ここまでリアルで記憶も匂いも色も全て明確な夢を見たので記録しようと思いました。本当にくだらないし、どうでも良いのですが、個人的な記録という事でそれ以上のものでも以下でもありません。

残念だったのは、美味しい高級イタリアンを期待して寝落ちしましたが、実際の夢の中ではお腹が空いてレストランを3軒もまわり、何故かカルボナーラが食べたくて仕方が無い空腹状態でした。

夢の中では、お腹いっぱい食べたいのに、出てくるのはアップルジュースとインスタント珈琲のみ。

アップルジュースは美味しかったですが、珈琲はぬるくて美味しくありませんでした。

夢の中ではスパゲティーカルボナーラに固執していたけど、実はカルボナーラはそれほど好きなパスタではありません。

この辺は謎です。

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024年1月31日 (水)

バンコクのスラム探検④

【スラムのチョンの間】

夜の帳が下りたサンチャオには、何処からともなく怪しい連中が集まってくる。

ガラクタとしかみえないモノが路上に置かれるが、はたして買う人がいるとは思えない。Sさん曰く、廃盤のレコードやカセットの中にお宝が潜んでいるそうだ。
10-20THBの中古カセットが、メルカリで数万円になる事もあるそうだ。
「僕には目利きが効かないもんで、さっぱりわからないけど、時々バイヤーがやって来て、古いモーラム(タイの民謡)を買い漁ってますね」
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垢だらけの売主 不気味な人形が並ぶ
なるほど、目利きのある人からすれば、コレらもお宝なのだろう。
此方は路上マッサージ屋さん
ドブ川の匂いが気になるが、夜になると涼しくて気持ちが良い。値段は1h100THB。
マッサージしながら売春のお誘いがあるのがサンチャオスタイル。
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少し歩くと今度は年齢不詳の娼婦がやって来た。
1時間100THBとの事だ。
「着いて行ってみたらどうですか?なかなか凄いですよ」
Sさん曰く、最悪の底辺風俗を見れるらしい。
僕は昨年にコルカタの売春窟の撮影を何度も試みたが、マフィアの支配下のため撮影はできなかった。
そこで、声をかけて来た年齢不詳(服装は10代、顔は60代)の娼婦に、売春窟での撮影を条件に交渉してみた。
コルカタの娼婦と違い、サンチャオの娼婦は僅か100THBで30分の撮影に了承してくれた。これは、コルカタがマフィアによる管理売春に対して、サンチャオの娼婦は基本的に自由だ。
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このような民家の並ぶ軒先にチョンの間の入り口がある。
此処で30THB払うと、好きな部屋を1時間使える。
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此処がチョンの間ホテルの入口
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 剥き出しのコンクリブロックと塗炭板で建てたスラムの一画。
1時間50THBの個室 もちろんエアコンは無い。
雑巾のようなシーツには何十人もの体臭が染み付いている。
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誰かがお仕事中の個室
床に落ちたコンドームの袋
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裸電球ひとつだけの個室。
上着だけ脱いでもらい、撮影させて頂く。
→続く

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2024年1月25日 (木)

バンコクのスラム探検③

スラムに集まる日本人高齢者

 

実はSさんは、此処では少しだけ有名人らしい。

というのもスラムでの生活をブログで発表しており、それを見たファンの読者がSさんに会いにやってくるそうだ。

ファンの方はSさんの同年代だが、その中には日本円で1000円以下の買春を目的に長期で来る方が多いという。

僕は頭が痛くなってきた。

60-70代の高齢男性が20代前半の女性とパパ活するのも少々ドン引きだが、同年代の老娼を買春するのも相当厳しい。

しかも、いくら安価だからという理由で、スラムで最下層の老いた娼婦を抱くという発想がそもそも衝撃的だ。

この日もSさんを慕って関西から飛んできた年金人生活者のTさんという日本人の方とお会いした。

Tさんは国から支給される年金と、現役時代に得た持ち株の配当金で細々と生活しているそうだ。

さすがのTさんも、サンチャオの荒廃した環境には尻込みしており、MBK近くの安宿をねぐらにし、2番の市バスでSさんの住むサンチャオに通っているそうだ。気が向くと路上に立つ娼婦を100-200THBで買い、地獄のようなチョンの間で天国を味わった後に、ママさんの店でビールを飲んで市バスで宿に戻るのが日課だそうだ。

「凄いですね」

と、驚嘆するとTさんは

「いやいや、気が向くともう少し若い子とも遊びますわ。但し若い子は500THBもするんで、毎回遊ぶのは予算的に厳しいですな」

と笑いながら語った。

因みに、若い子といっても40代、20-30代の娼婦も中にはいるがその殆どが聾唖や身障者やシャブ中だ。

Tさん曰くは、定年まで仕事漬けの毎日を送っていたが、退職後にSさんのブログを見て、自由な生き方に憧れてタイに飛んできたそうだ。

そもそもTさんの収入では、日本で細々と生活するのが精いっぱいだが、スラムでは日本よりもマシな生活が送れると嬉しそうに語った。

最も、Tさんの名誉のために言えば、Tさんは買春だけが目的ではないようだ。

覚えたての下手なタイ語を使った会話で、地元のタイ人と簡単な意思疎通ができる事を心から楽しんでいる。

屋台の飯も新鮮な経験で、初めての海外旅行は毎日が驚きの連続だと興奮して語っていた。

「Tさんのような旅なら、ベトナムやラオスの方が安価だし、異文化体験だったらコルカタまで行けば更に強烈ですよ」

と言うと

「では、一緒に行きましょう!」

とグイグイ誘われたが、出会ったばかりのTさんと旅行するのは尚早なので、なんとか煙に巻いて逃げる事にした。

おそらくは、バンコクに来たのもSさんがいるからで、Tさんひとりで旅をするのはハードルが高過ぎるのだろう。

「また明日来ますんで!」

と言ってTさんは市バスに乗って帰って行った。

 

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夕方になると、街灯に集まる蛾のように街娼がサンチャオの路上に集まって来る。

 

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強烈なビジュアルの街娼のお姉さん

20THB(80円)と煙草1本で撮影許可とお話を聞かせて頂く。

年齢を聞くと22歳との事…。弛んだ皮膚から60代後半かと

200THBでショートのお誘いがあったが、お断りするとスグに100THBに値段が下がった。

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路上の街娼

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20THB(約80円)で撮影をさせて頂く。

最底辺のスラムの娼婦に年齢制限はない。

彼女達を買うのは、同じく底辺に暮らすスラムの人達だが、年金生活者の日本人高齢男性も含まれている。

 

→続く

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2024年1月23日 (火)

バンコクのスラム探検②

前回からの続き

 

次にSさんが向かったのは、Sさん行きつけの飲み屋だ。

飲み屋と言うよりも、ビールや飲み物、菓子等を売る雑貨店の軒先でチビチビ飲むだけの店だ。

冷蔵庫に冷えたビールは、チャンとリオとシンハーの3種。値段はコンビニ価格と殆ど変わらない。

1本あたりせいぜい10THB程度しか乗せてない。

これで、グラスと氷を提供している訳で、僅か10THBを上乗せしただけで良いのか?と悩んでしまうくらい安い。

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Sさんの行きつけの飲み屋?

ビールと飲料水、スナックと共に、2-3種類の総菜も売っている。

20THBの総菜を肴に、氷の入ったビールをここで飲むのが楽しみだと言う。

 

実はこの店は多角経営をしている。店の奥では1時間100THBでマッサージを受けることが出来る。

更にネオンサインのトイレの看板だが、これは周辺の路上に立つ娼婦達を相手にした商売だ。

サンチャオには、このようなトイレの看板をよく目にする。

トイレの利用代は1回5THB。日本円で20円だ。

20THB払うとシャワー室も利用できる。これも、娼婦や路上生活者に必要なインフラだ。

トイレとシャワーの売上はひと月1500THB以上になるそうだ。

ちょっと意外だが、スラムではトイレがそのままビジネスになってしまう。

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この店のオーナー。

Sさんは彼女の事をママさんと呼ぶ。

驚いた事に、ママさんはわりと流暢に日本語を話す。

聞くと、20代の頃に池袋のタイ人パブで数年間ホステスとして働いていたとの事。

この時に貯めたお金で、この店を買って商売を始めたそうだ。

「この辺では、ウチのトイレが一番きれいなので、評判が良いのよ」

だそうだ。確かに、気になって他のトイレものぞいてみたが、此処のトイレがダントツにマトモだった。

(というよりも、他が酷い)

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これが当時のママさんの写真だ。

店での源氏名は【りえちゃん】。当時人気の宮沢りえに似ていたとの事だが…。

 

僕は、此処でママさんの総菜を肴にビールを3本空けた。勿論僕のおごりだ。

Sさんは恐縮しながら、氷の浮いたビールを何杯も喉に流し込んだ。

宮沢りえの店でほろ酔いになると、電気毛布を被ったようなバンコクの暑さも和らぎ、運河のドブから吹く夕凪に汗が引いて来た。

「さて、そろそろ行きましょうか?」

Sさんはそう言うと、余った総菜をビニールに入れて貰い、足を引き摺りながら歩きだした。

 

続く

 

 

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バンコクのスラム探検①

【バンコクのスラム探検①】

ちょっとしたきっかけで、バンコク最底辺のスラムに5年以上暮らしている日本人のSさんと知り合う事になった。

Sさんは関西地方出身の60代後半で独身のバツイチだ。

年齢にしては、がっしりとした恵まれた体系をしている。

彼は、日本の中小企業で働いている時に通ったフィリピンパブの女と結婚。

フィリピン人の彼女との生活を夢見て、それまで貯めて来たお金で彼女の実家のネグロス島に家を購入した。

よくある話だが、家を買ったとたんに関係は冷え切ってしまい、Sさんは捨てられてしまった。

その後、仕事を転々としながら暮らし、年金受給のタイミングでタイへと移住する事になった。

Sさんの収入は年金の5万8千円のみ。

物価上昇の激しいバンコクで、僅か6万円未満の収入で暮らすのは、円安の現在では非常に厳しい。

そこで、王宮近くのサンチャオというスラム街にSさんは居場所を見つけた。

バンコクにはクロントイという巨大なスラムがあるが、Sさん曰くはサンチャオの方が物価が安いという。

此処では行き場を失った娼婦が集まり、僅か100THBで春を買う事ができるという。

これは長くタイに暮らす僕にとってもショックだった。

これまで、マニラやインドのスラム街を見て来たが、新興国で発展を続けるタイで、未だにこんな世界がある事を知り、僕はSさんにサンチャオを案内してもらう事にした。

 

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ここは、スラムの中を流れる運河。塀の陰に座っているのは、この先のシーク教寺院で施される食事を待つ人達。

Sさんもよく此処に並ぶそうだ。此処で炊き出しされる野菜カレーは美味いそうだ。

 

指定の場所に行くと、Sさんが足を引きずりながらやって来た。

聞くと、ビールを飲んで泥酔して階段からコケたそうだ。

幸い大事には至らずに済んだそうだが、筋を痛めたとの事だった。

「痛いのでゆっくり歩きますよ」

僕は申し訳ない気持ちで一旦はSさんのガイドを断るが、Sさんは笑顔でマイペンライと言った。

因みに、Sさんはサンチャオの中心にあるアパートに住んでいたが、スラムの中では突出したマトモな建物だ。

入り口はカードキーで管理されており、正直僕の住むアパートと比べてもさほどの差は無い。

それでも、経費節減でエレベーターが使えず、4階の部屋から昇り降りするのが億劫という。

脚が治るまで、1日1回くらいしか外出しないと言って笑った。

部屋にはエアコンがあるものの、電気代を節約するため殆ど使う事は無いそうだ。

部屋代は4000THB。たしかに安い。スクンビットなら8000THBはするだろう。

 

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路上に寝る老婆に20THBを恵むSさん。

 

この日は月曜日だった。Sさん曰くは月曜日が最も閑散だという。

いつもは、多くの路上生活者がサンチャオの道を占める。娼婦も多く、数百名の娼婦が路上に立つそうだが、月曜日はその数が激減するという。乞食も娼婦も、月曜日は殆ど仕事はしないそうだ。

それでも、路上には数十名の娼婦達が客を引いている。

驚いた事に、彼女達の殆どが日本でいう年金生活者の年齢なのだ。

「彼女たちも、若いころはパッポンやナナで稼いでいたみたいですね。その後年齢と共に場末から場末へと回遊し、行きつく先が此処ですわ」

 

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路上に寝ている老婆からねだられて煙草を一本恵むと、自分の娘を買わないかと言われた

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老婆の娘がやって来た。

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彼女の年齢は不明だが、40代後半だろうか。

ショート200THBでお誘いを頂く。とてもじゃないので丁寧にお断りすると、娘を紹介すると言った。

つまり老婆の孫娘になるのだが、23歳でサンチャオで一番若くて美人だそうだ。

老婆を筆頭に、母娘3代に渡って娼婦の家系だそうだ。

Sさん曰く、最近お婆さんの息子がヤーバー(覚せい剤の一種)の密売で逮捕されてしまったそうだ。

お陰で稼ぎが少なくなってしまい、生活のために孫娘も体を売るようになったとの事。

「息子さん、心配ですね」

というと、Sさん曰く

「いやあ、こいつら貧乏人からは金をとれないので、警察はすぐに釈放しますよ」

なるほど、売春にヤクの売人、スラムのお決まりのアイテムだ。

さて、もう少し歩きますよ。

Sさんは怪我をした足を引き摺りながら、更に奥へと歩いて行った。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2023年10月 1日 (日)

キャンプの思い出 6

実は、甲州地方では旅人の女性を集団で輪姦するという悪習があった。

俗に「旅娘輪姦」と呼ばれる風習は、少なくとも昭和10年頃まで甲州地方では密かに行われていたそうだ。暴行された女性は、そのまま娼館に売られたり、酷い場合は殺されてしまう事もあったそうだ。

憎むべき悪習であるが、こんな風習が戦前まで残っていた事が驚きだ。

この悪習がこの事件の下地になっていたと指摘する者もいるが、事実は不明だ。

 

因みに、この事件の4年前には、同じ山中で2人の女性登山者の白骨死体が発見される。

ふたりとも胸部が骨折しており、時計や財布など貴重品が奪われていた。

二人の女性が発見された場所は、瑞牆山の反対に位置する金峰山方面であるが、地理的には富士見山荘近辺である事から、山梨県警は大柴の犯行の疑いが濃厚として取り調べを行った。

結局、遺体が白骨化しており大柴の供述も得る事は出来ずに不起訴となった。

僕自身、この登山道を歩いた経験上、犯行現場は滑落するような場所とは思えない。

そもそも遺体から要のモノが奪われた事から殺人の事件の疑いが極めて高いものの、証拠不十分で不起訴となっている。

結局この事件は迷宮入りとなっており、真実は知る由も無いが、少なくとも何らかの事件に巻き込まれた事は疑いも無い事実である。

あくまでも、疑惑の範疇を越える事は無かったものの、これらの経緯から当時の管理人である大柴が犯人である可能性は完全には否定できない。

もし4年前の事件が大柴の犯行であれば、大柴の罪は永山基準に照らしても死刑が妥当であろう。

因みに、今井忍さんの事件では、婦女暴行致死、遺体遺棄で懲役13年が確定している。

被害者がひとりの場合は、(放火殺人や幼児誘拐以外)これまでの基準から1015年程度の量刑が妥当である。当時51歳の大柴にとって、例え15年を懲役で服しても、娑婆に出て来て人生を謳歌できる可能性は残されている。実際、大柴は13年の服役後に出所しており64歳で社会復帰しているのだ。

一方で過去の殺人が含まれれば死刑は避けられず、大柴としては死刑だけは避けたかった筈だ。

公判中の大柴は、当初は自らの犯行を認めていたが、途中から発言を覆し、複数人の犯行だったとか、自らの罪を軽減するための戯言を繰り返しながら法廷を混乱させた。

 

本来、山小屋の役目は、厳しい天候の山中に於いて登山者を保護し休息を与える場である。

とはいえ、登山道や道標の整備、情報の発信、ときには遭難した登山者の救助等、任意とはいえ山小屋の管理者には多くの負担がのしかかるのも事実である。

これらの労働を勘案すると、ひとり一泊1万円を切る宿泊費では採算が取れない事は明白である。

ある意味、現在でいうところのブラック企業の体質を過分に兼ね備えている職業でもある。その運営には高いスキルが要求される職場であるにもかかわらず、低賃金で雇用できる人材は限られており、女性登山者への暴行が懸念される大柴が管理者として雇用され続けた事にも言及されるべき問題だったと推測される。

 

勿論、今回の事件は大柴の醜悪な性癖が原因であった事は事実であり許しがたい悪行である事には疑念の余地はない。然しながら、日本を震撼させた犯罪の根源の部分として、この地に古くから残る「旅娘輪姦」の悪習が女性に対する人権軽視の土壌をつくり、更に山小屋管理人というブラックな労働条件による人材確保の点から、結果的に強姦魔の大柴を雇用し続けた原因になる可能性については言及される事はなかった。

 もっとも、旅娘輪姦の悪習が関連しているのは無理があるし、地元の人達にとっても、できれば触れられたくはない問題だった筈だ。

 

中学一年当時の僕は、これらの様々な事柄まで知る由も無かった。その後インターネットの普及に伴い、この事件の事を少しだけ掘り下げながら、40年前の記憶を呼び戻しながらこの記事を執筆している。

2023年現在。僕は当時の大柴や父の年齢を超えた。

あの中学一年の九月。僕が体験した恐怖の一夜は、今も実体験として脳裏に刻まれている。

社会主義に昏倒し、霊的な存在を否定し続けた父の影響から、僕は現在も霊やUFOの類いには懐疑的だ。然しながら、四十年前の体験は、父の幻覚が巻き起こした【真夏の夜の夢】だったのだろうか?

父が見たという、白っぽい服を着た女性は、1週間前に大柴に殺害された今井忍さんの霊だったのか?

父が他界した現在では、既に確かめる術はないが、非業の死を遂げた今井さんが霊として僕らを自らの埋まる場所へと導いたのではないか?

と考えるようになっていった。

僕はあの日、 ヒグラシの鳴く唐松林の中で幽霊草に囲まれて恐怖の中茫然と立ち尽くしていた。

腰の丈ほどに伸びた藪の中で掘り返された土。

父が見た藪に消えていった女。

そして、何よりも異様に僕らを警戒し、鋭い眼光で睨みつける管理人。

勿論、当時の僕らには、僅か1週間前に富士見山荘で起きた悪夢を知る筈も無かった。

「忍さんは僕らに知らせたかったに違いない」

その結論に辿り着くまで、数十年の月日を要した。

偶然の要素だ。と決めつけるのは容易い。実際、僕自身この件に関してはできる限り思い出さないようにしてきた。

トラウマ級の恐怖体験を思い出したくなかったのもあるが、非業の死を遂げた忍さんが霊となって僕と父に訴えたのにも関わらず、その声に真摯に向き合わなかった後ろめたさが心のどこかに潜んでいた事も否定できない。

あれから40年。

年の殆どを海外に暮らす僕にとって、この事件は日本で過ごした20数年の中でも忘れえぬ思い出となった。

事件後、今井忍さんのご遺体が発見された藪の中には、ご家族と有志の方達により慰霊碑が建造されたそうだ。

「あなたのご意思を気づかずに、ご遺体を見つける事ができずにお許し下さい」

できれば、来週に控えた日本への帰国の機会に、改めて富士見平に赴いて今井忍さんの慰霊碑に祈りを捧げる事ができないかと考えている。

今でもこの世に霊が存在するとは思っていない。

然しながら、22歳の若さで非業の死を遂げた忍

さんに対し、そのご冥福をお祈りする気持ちは年をとる毎に強くなっている。

できれば再び富士見平小屋を訪れ、忍さんの霊に手を合わせたいという思いはある。

今も、富士見平のヒグラシは甲高い声で木々の葉を震わせながら、晩夏の交響曲を奏でているのだろうか?

以降、ヒグラシの鳴き声を聞く度に、僕の脳裏にはあの事件の事が浮かんでくるようになった。

 

おわり

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現在の富士見平小屋のキャンプ場 当時はもっと狭く周囲は草で覆われていた

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2023年9月28日 (木)

キャンプの思い出5

翌日の月曜からは、いつものように近所の公立中学校に通う日々がはじまった。

不愛想な山小屋の管理人や、父が見た不思議な女の事も、快晴の瑞牆山の思い出の中では些細な出来事となり、僕の中では殆ど記憶から消えかけていた。

 

しかし事態は急変する。

2週間後の9月24日NHK7時のトップニュースで、これらの記憶が一気にフラッシュバックする事になるのだ。

居間の14インチのブラウン管TVに映された内容はあまりにも衝撃だった。

「瑞牆山富士見平小屋の管理人を殺人容疑で逮捕」

とのテロップが流れ、画面には少し前に訪れたキャンプ場の様子が映されている。

これが、当時の日本の登山界を震撼させた【富士見平山荘山小屋OL殺人事件】だ。

ひょっとして、この事件の事をご存じの方もいるかもしれないが、概要を纏めると以下のとおりだ。

 

東京都武蔵村山市のOL、今井忍さん(当時22歳)の家族から、娘が前日の9月3日早朝、山梨県北巨摩郡須玉町の奥秩父山系水牆(みずがき)山に1人で登山に行ったが、帰宅予定の4日夜になっても戻ってこないと警察に捜索願いを届け出た。

連絡を受けた山梨県警韮崎署員が捜索した結果、同月19日になって水牆山の中腹付近にある富士見平小屋から200メートル離れた登山道下の山林の中に埋められた腐乱状態の遺体を発見。

鑑定から失踪した忍さんである事が確認された。

韮崎警察署は、富士見平小屋の管理人、大柴勉(当時54歳)を任意同行で事情聴取する。

 

大柴は当初、今井忍さんの殺害を否定していたが、忍さんが宿泊したとされる3日の分だけ宿帳が失われている点や、その1年前の9月にふたりの女性登山客が大柴に乱暴されかけた事実も分かり、激しい追及をしたとこところ、ついに9月23日の夜に忍さん殺害について自供をはじめた。

 

大柴の自供によると、3日午後9時過ぎ、戸外のトイレに行く今井忍さんを強姦しようと山林に連れ込んだが激しく抵抗されたためシャツの襟首を強く引いたところ坂道だったため首を吊った状態になり窒息死した。翌日未明に今井さんの遺体を担いで現場から100メートル離れた窪地に穴を掘って遺棄した。大柴は、証拠隠滅のため彼女の衣類やザックは焼却して埋めたということだった。

 

TVにはキャンプ場が映し出されており、唐松林の藪の中には大きなブルーシートが張られていた。この中心に今井忍さんの変わり果てた遺体が埋められていたのは想像に難くない。

何より、ブルーシートが張られた犯行現場は、2週間前に僕らがテントを設営した場所の藪の中であり、幽霊草の咲く盛り土のある一帯である事が、そこに聳える巨大な唐松の樹木の特徴から知る事が出来た。

「おい、あきら!見てみろ、やっぱりそうだ。あれが人殺しの目だ」

父は大柴の顔写真が掲載されたTVを見ながら、自分が見た女は幽霊で、管理人の風貌が尋常ではなかった事や、更には犯人の名前が自分と同じ勉という事に対しても、同じ勉として許せない。等々興奮を隠しきれず、画面が他のニュースに変わっても延々と話し続けていた。

 

この事件は当時中学1年生だった僕にとって、今も忘れえぬ恐怖体験となった。

僕らが宿泊した日は、大柴が今井さんを殺害した翌週だ。

当日、藪の中に消えていった女性が誰だったのか?

無念のまま殺された忍さんの怨念が、自分の埋められた場所を知らせるために霊となって現れたのか?

実際に僕は、誰かに導かれるようにして忍さんが埋められた場所まで足を運んでいる。

そこに生息していた幽霊草は土中の菌を養分としているが、亡骸となった忍さんが花を咲かせる事で誰かに注目して貰いたかったのだろうか?

勿論、そんな非科学的な事は現実には起こりえないとは理解していても、日本中を震撼させた殺人事件に不本意ながらも触れてしまったのは真実である。

 

そもそも管理人の大柴は、以前にも2回ほど暴行未遂を起こしており、地元では若い女性は富士見平小屋には泊まらないように警告していたそうだ。

現在であればSNSでこれらの所業はすぐに拡散され、その時点で大柴はクビもしくは逮捕されていた筈だ。

富士見平山荘は、地元の増冨ラジウム温泉組合の管理下にあるが、暴行未遂の問題児をそのまま雇用し続けた責任は重い。これに関しては、後に甲州地方に残る悪習が関係しているとの噂も耳にした。

続く

 

 

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2023年9月22日 (金)

キャンプの思い出4

 

その後シュラフに入り目を閉じるも、案の定悶々としてなかなか眠りに着く事はできなかった。

そのくせ、隣では父が大きな鼾をかいて熟睡している。

時折テントの外で聞こえる鳥の声や、動物の鳴き声にびくびくしながら、シュラフの中で縮んでいた。特にテント反対の藪の中の方角から物音がすると、敏感に反応してしまう。

その内、夜中に尿意を催すも、情けなくも漆喰の闇の中を歩いてトイレに行く勇気はない。

悶々としながらも、意を決しテントのチャックを僅かに開けたその時だった。

漆喰の暗闇の中で小さな光が揺れているのが見えた。

それが懐中電灯の灯りである事はすぐに分かったが、この光源は小屋から徐々にこちらに近づいて来る。

腕時計を見ると午前1時だ。

光源はひとつで話声は聞こえない。

僕はすぐにチャックを閉じると下部の部分のみ数センチだけ開け、その僅かな隙間から片目だけ出し息を殺しながら外の様子を伺ってみる。

懐中電灯の灯りは、殆ど一直線に此方に向かって来た。

およそ20ⅿちかくまで迫って来ると、ザッザッという枯葉を踏む靴音が聞こえて来た。

灯りは僕らのテントに向けられていたので、音を立てないように再びシュラフに入り、眼を開きながら全身の感覚を研ぎ澄ます。

そう、懐中電灯の主は管理人に間違いない。

それまで、感じた事の無いような恐怖に全身が強張る。

そんな僕の事を全く知らず、父は大きな鼾をかいて寝ている。

薄いテントの生地の向こうから、懐中電灯がこちらに向けて照らされているのが分かった。

「山で一番怖いのは幽霊ではない、そこにいる悪意を持った人間だ」

ある登山家の言葉が突然脳裏に浮かんできた。

 

息を潜めて様子を伺うと、懐中電灯はテントの周辺を一周すると更に近づいて来た。

テントの生地を通し、懐中電灯の光の輪はどんどん大きくなるのが見えた。

そして突如電灯は消えた。

しかしながらすぐ近くまでザッザッと足音だけは聞こえる。そして突如としてその音は消えた。

「立っている。すぐそこに人が立っている」

僕はシュラフに入ったまま外の様子を耳を立てて探る。

音は聞こえないが、誰かがテントの前に息を殺して立っているのは間違いない。

隣で寝ている父を起こそうか?迷ったものの、まさか危害を与えるとは考え難く、恐怖に震えながら管理人が遠ざかるのを必死に願った。

父の大きな鼾は、テントの外まで響いていた筈だ。

暫くすると、再度ザッザッという音がして、今度は離れていく音が聞こえた。

 

時間にして1分も経ってない筈だったが、恐怖からそれが何時間にも感じられた。

それにしても、なぜ管理人は、執拗に僕らを監視しようとしているのか?

こんな時間にキャンプ場を見回るなど、明らかに異様な行動だ。

管理人は明らかに僕らを明確に監視している。

彼の態度は明らかに不愛想であり、挨拶すらまともに交わさないにもかかわらず、こんな時間に客に興味を持つ理由は何だろうか?

靴音が遠ざかるのを確かめ、再び隙間から外を眺めると、懐中電灯の主は常夜灯に浮かぶ山小屋へと消えていった。

まるで捕食者のように小屋から僕らを監視しているようだ。

あまりの薄気味悪さに、尿意はすっかり失せてしまっていた。

かろうじて僕が正気を保っていたのは、当時の父は40歳後半とはいえ見た目も充分に若く、筋肉も隆々としていた。喧嘩も強く、同年代の男が父と喧嘩しても負ける気がしなかったからだ。

例え管理人が殴り掛かってきても、素手なら父が負ける気はしない。

僕は、隣で寝ている父のシュラフを左手で握りしめると、次第に恐怖は遠のき、気が付くと深い眠りに沈んでいった。

 

翌朝、鳥の声に目を覚ますと昨夜の恐怖を吹き飛ばすような青空が木々の間に広がっている。

父は既にテント前で朝食の準備をしている。

僕は食事をしながら、昨夜の体験を話すと

「気味が悪い奴だな。それより早く飯を食え」

と言うも、その時本人は熟睡していたので興味がないのか、思ったほどの反応はなかった。

その時の父は、1分でも早く支度を整えて瑞牆山にむけて出発する事だけを考えていたようだ。

 

さて父のつくった熱い味噌汁を食べ僕らは早々と支度を終えて、瑞牆山へと出発した。

初めて登る奥秩父最西の瑞牆山は期待以上に素晴らしかった。

かなり急な山道だったが、唐松の中の登山道は整備されており、思った以上に歩きやすかった。

唐松林の根を踏みながら高度を上げていくと、次第に岩が混じり難関の鎖場も通り過ぎ、突如として大きな岩の頂上へと辿り着いた。

標高2,230mの頂上からは、雲一つない秋空の下、金峰山から連なる奥秩父の山並みに、西側を見ると雄大な八ヶ岳の雄姿、遠くに槍ヶ岳の穂先も見え、360度の壮大なパノラマが目前にひろがっていた。

まさに日本100名山の名に違わぬ絶景だ。

それにしても週末にも関わらず、瑞牆山の頂上には僕らの他に誰もいなかった。

というのも、山頂に一番近い富士見平小屋には、僕ら以外の宿泊客は無く、朝一番に出発した僕らがこの日最初の登頂者だったからだ。

1時間ほど山頂に留まり、昨夜の内に拵えたおにぎりと味噌汁を沸かして早い時間に昼食を終えると、再び登って来た道を軽快に降りていく。

下山途中に、数名のパーティーとすれ違い、昼過ぎには再びテントの張った富士見平に戻って来る事ができた。

僕と父はテントをたたみ、荷物を纏めると富士見小屋へ撤収の報告に訪ねた。

「お世話になりました。テントを撤収したので、今から帰ります」

目つきの鋭い主に告げるも、お疲れ様とも、又どうぞ、とも言葉は何も無い。ひとこと、「ああっ」とだけ答えただけで相変わらず不愛想な対応だ。

「そういえば、昨夜は小屋にお泊りになっていた方がいましたよね」

父が思い出したように話すと

「いや、昨夜は誰もおらんと、あんた方だけだったが」

「そうですかね、夕刻にあそこで女の人が歩いているのを見かけたけど藪の中に消えてしまってね。てっきり女性の宿泊客がいたのかと思っていましたが」

そう言った瞬間、管理人の顔つきが変わったのを僕は見逃さなかった。

眼球を大きく見開きながら凄まじい形相で、彼は父を睨みつけた。

それは、威嚇するというよりも、恐怖に慄いたような様子だった。

「そんな筈はない」

父に語りかけるというよりも自分に語りかけるように言葉を絞り出したようにも聞こえる。

「では、お達者で」

僕らもいつまでも女の話をするほど暇ではなかったので、そのまま挨拶をした後扉を閉めて小屋をあとにした。

釈然としない思いは残っていたが、富士見平小屋には用はなく、荷物を纏めた僕らは車を停めた県営駐車場に向けて歩き始めた。

100ⅿほど歩いたとき、何か突き刺さるような視線を感じて振り返ると、閉めた筈の扉の前に管理人の男が立ち、鋭い眼光で此方を凝視しているのが見えた。

猜疑心と怒りの感情に満ち溢れたその表情は、旅館での「お客様のお見送り」とは程遠いものだった。

改めて、強烈な不快感と得体のしれない男への恐怖が、帰路の足取りを一層早くした。

続く

 

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瑞牆山からの展望 花崗岩の山肌はロッククライミングの聖地として人気が高い

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2023年9月17日 (日)

キャンプの思い出3

「あきら、若い女がそちらに行かなかったか?」

突然の父の声に目が覚めると、父はテントに上半身だけ体を入れている。

何の事か分からずにいると曰く

父が水場で米を研いでいると、白っぽい服を着た若い女が僕らのテントの方に歩いて行ったそうだ。僕らがテントを張った場所は、指定された幕営地の角で、後方は藪に囲まれている。

水場からはテントを直接目視する事はできないが、サイトの殆どは視覚に入っており、かろうじて僕らのテントだけが水場から見る事ができない死角にある。

女がテントの方角に歩いて行ったとの事だが、テントの後方は藪で獣道すらない。

トイレも反対方向にあるので、何の用事があって女がテントの方向に歩いて行ったのかは分からない。男性であれば、立ちションの可能性もあるが、トイレがあるにもかかわらず、若い女性がわざわざ藪の中に入って用を足すとは普通は考え難い。

「父さん酔っぱらってないか?」

笑いながら冗談半分で言うと

「嘘じゃない。本当に見た。白い服を着た女が歩いて行く後ろ姿を確かに見た」

父は興奮しながらその様子を語るも僕は半信半疑だった。

但し、父は普段はそんな嘘をつくような人ではなく、何かの見間違いか、もしくは山小屋に宿泊している客がキャンプサイト周辺を歩いていたのかもしれない。

例えば、何か動物や野鳥を見つけて藪の中に入って行ったのかもしれない。

「父さんは幽霊でも見たのかもね」

半分冗談で言ってみると

「オレは、お化けは信じないが自分の目でみたのは確かだ」

と言うので、僕はそれ以上その件に付いては話題にしなかった。

そもそも社会主義に昏倒している父は幽霊や霊的な存在に対しては完全な否定主義者だ。

小さいころから父の影響を受けていた僕は、小学高学年の頃には父同様に幽霊に対しては頭から否定していしており、その年齢にも関わらず極めて現実主義な思考を持っていた。

「おかしいな、俺は本当に見たんだ」

父の言うとおり、もし本当に女がテントの方向に歩いて行ったのなら、その行先はテントの後方に茂る藪の中に入って行った事になる。

念のため、テント後方から藪の中に入ると、少し離れた唐松の大木の周辺には何か土を掘り返したように半径2-3m付近のみ殆ど草が生えていない。

ゴミを埋める穴でも掘ったのかな?

と思いながらその周囲を見ると、草の狭間に長さ10㎝程度の白い花のようなものが5-6本生えている。

寄って見ると、それは通称【幽霊草】と呼ばれる白い植物だった。

それは茎も花も全て白く、肉厚の花唇は現実離れした不気味な風貌だ。

実は、それが銀竜草というキノコの一種である事を僕は知っていた。

このキノコは幽霊草もしくは幽霊茸とも呼ばれており、その外観は茸というよりは花のような外観で珍種の高山植物だ。

僕は、以前にも奥多摩の山中でこの薄気味悪い奇妙な植物と遭遇した事があり、後に図鑑でこの植物の事を知る事になった。

以降、僕は山を歩くと、度々幽霊草を探していたが、残念ながら二度とその姿を見つける事はできなかった。

この日、テント裏の藪の中で見つけた幽霊草は僕にとって二度目の事だった。

 

藪に消えていった若い女と、その先に見つけた幽霊草。

無神論者の僕でも、これらふたつの要素が重なった先にイメージする内容にどっと冷たい汗が噴き出た。

勿論、幽霊草は湿気のある日陰に生息する茸の一種に過ぎない。

その風貌ゆえに幽霊草と呼ばれるようになっただけで、実際の幽霊との関連は無い。

 

女が消えたのも、その先の藪の中に土を掘り返した跡があるのも、そこに幽霊草という名の茸が生えていたのも、これらは全てそれぞれの要素でしかない。

勿論頭では理解できてはいるが、これらの要素が導く答えが、拭いきれない不安となって黴のように胸の中に繁殖していった。

気が付くと、幽霊草の前に立ち尽くす僕の周囲にはヒグラシだけがカナカナと甲高く木々の葉を震わせ、圧倒的な音の暴力で僕を威圧していた。

 

さて、食事の最中も父は何度か女の話題を口にしたが、何故か僕は藪の中の事は父に言う事は無かった。くだらないと一笑されるのが関の山だと思う一方で、その事を口にする事で恐怖が倍増されるような不安が僕の口を閉ざしたのだろう。

 

実は、その時に何を食べたのか?料理の内容は既に記憶にない。灯油ランプを囲んだ周辺以外は漆黒の闇に閉ざされており、ヒグラシの声が消えたキャンプ場は風もなく不気味なほど静寂だった。

続く

 

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富士見平山荘 この石段を下るとキャンプサイトだ

 

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